第11、第12の哨戒 1945年1月 - 6月
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「ガトー (潜水艦)」の記事における「第11、第12の哨戒 1945年1月 - 6月」の解説
1月28日、ガトーは11回目の哨戒でジャラオ (USS Jallao, SS-368) およびサンフィッシュ (USS Sunfish, SS-281) とウルフパックを構成し東シナ海、黄海方面に向かった。2月14日夜、ガトーは北緯32度43分 東経125度37分 / 北緯32.717度 東経125.617度 / 32.717; 125.617あるいは北緯34度48分 東経125度25分 / 北緯34.800度 東経125.417度 / 34.800; 125.417の済州島東南海域で、上海から佐世保に向かっていた第205号海防艦と第9号海防艦を発見し、魚雷4本を発射。うち2本が第9号海防艦に命中し、これを撃沈した。次いで2月21日には北緯35度24分 東経125度23分 / 北緯35.400度 東経125.383度 / 35.400; 125.383の地点で輸送船大陸丸(拿捕船、2,325トン)を撃沈した。2月28日以降は上海に至る海域での救助任務に就いた。3月13日、ガトーは45日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がリチャード・ホルデン少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 4月12日、ガトーは12回目の哨戒で日本近海に向かった。この哨戒では、主に沖縄空襲を実施する第58任務部隊の援護で救助任務に従事。また、4月22日から23日にかけては日本潜水艦からのものと思われる攻撃を受けたが回避した。4月27日から30日にかけては都井岬沖でB-29の搭乗員10名を救助した。6月3日、ガトーは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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