第1回メッカ巡礼の様子とは? わかりやすく解説

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第1回メッカ巡礼の様子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 14:40 UTC 版)

イブン・ジュバイル」の記事における「第1回メッカ巡礼の様子」の解説

1183年2月3日イブン・ジュバイルは、グラナダからメッカ巡礼へと出発し、まずはイベリア半島対岸にあるセウタへと向かったここからジェノヴァの船に乗り、約1ヶ月航海経てアレクサンドリアへと到達した。そこから南下して当時アイユーブ朝の都カイロへ向かった。街は総じて平穏であり、彼の旅行記中でも統治者サラディン善政評価している。 カイロ離れるナイル川遡って上エジプトクス英語版)に到達し砂漠越えて紅海面する港湾都市アイザーブ(英語版)に辿りついた。暴風雨見舞われながらもアラビア半島渡航しイエメンジッダ経てメッカへと到達したメッカカアバ神殿巡礼し、メディナではムハンマドの墓を詣でた後、バグダードへと向かった当時バグダード様子旅行記からうかがうことができる。イブン・ジュバイル盛期過ぎたバグダード様子見て往時繁栄を偲び、またティグリス川東岸には多く人々と施設集まっていることを書き残したその後地中海東岸シリアへとむかい、アレッポダマスクスアッコン訪れたイブン・ジュバイルシリアでの旅の中で、イスラーム勢力十字軍国家の間で絶え戦闘が行われているにもかかわらず商人両方宗教巡礼者妨害を受けることなく2つ勢力支配地を往来していることを不思議に感じた当時十字軍勢力拠点であったアッコンから、1184年10月18日航路シチリア島へと向かう。航海中、船はメッシーナ海峡難破しシチリア王グリエルモ2世救助されイブン・ジュバイル両シチリア王国首都パレルモ移されるイブン・ジュバイルシチリア王国繁栄抑圧を受けながらもキリスト教徒共存する現地イスラム教徒目撃するその後シチリア西端トラーパニから出航し1185年3月カルタヘナ到着翌月グラナダ帰国する

※この「第1回メッカ巡礼の様子」の解説は、「イブン・ジュバイル」の解説の一部です。
「第1回メッカ巡礼の様子」を含む「イブン・ジュバイル」の記事については、「イブン・ジュバイル」の概要を参照ください。

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