第1回メッカ巡礼の様子
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「イブン・ジュバイル」の記事における「第1回メッカ巡礼の様子」の解説
1183年2月3日、イブン・ジュバイルは、グラナダからメッカ巡礼へと出発し、まずはイベリア半島の対岸にあるセウタへと向かった。 ここからジェノヴァの船に乗り、約1ヶ月の航海を経てアレクサンドリアへと到達した。そこから南下して、当時のアイユーブ朝の都カイロへと向かった。街は総じて平穏であり、彼の旅行記の中でも統治者サラディンの善政を評価している。 カイロを離れるとナイル川を遡って上エジプトのクス(英語版)に到達し、砂漠を越えて紅海に面する港湾都市アイザーブ(英語版)に辿りついた。暴風雨に見舞われながらもアラビア半島に渡航し、イエメンのジッダを経てメッカへと到達した。メッカのカアバ神殿に巡礼し、メディナではムハンマドの墓を詣でた後、バグダードへと向かった。当時のバグダードの様子も旅行記からうかがうことができる。イブン・ジュバイルは盛期を過ぎたバグダードの様子を見て往時の繁栄を偲び、またティグリス川の東岸には多くの人々と施設が集まっていることを書き残した。 その後、地中海東岸のシリアへとむかい、アレッポ、ダマスクス、アッコンを訪れた。イブン・ジュバイルはシリアでの旅の中で、イスラーム勢力と十字軍国家の間で絶えず戦闘が行われているにもかかわらず、商人と両方の宗教の巡礼者が妨害を受けることなく2つの勢力の支配地を往来していることを不思議に感じた。当時は十字軍勢力の拠点であったアッコンから、1184年10月18日に航路でシチリア島へと向かう。航海中、船はメッシーナ海峡で難破し、シチリア王グリエルモ2世に救助されたイブン・ジュバイルは両シチリア王国の首都パレルモに移される。イブン・ジュバイルはシチリアで王国の繁栄、抑圧を受けながらもキリスト教徒と共存する現地のイスラム教徒を目撃する。 その後シチリア西端のトラーパニから出航し、1185年3月にカルタヘナに到着、翌月にグラナダに帰国する。
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