第二次露朝密約事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 14:18 UTC 版)
二度目の露朝密約事件とは、翌1886年8月に、朝鮮政府が在漢城ロシア代理公使ウェーバーに宛てて、朝鮮が第三国との紛争に陥った際に、ロシアに軍事的保護(軍艦の派遣)を求める旨の密函(秘密書簡)を送った事が露見し、国際問題に発展した事件を指す。当時、朝鮮政府の内部には、ロシアを引き込むことで清の圧迫に対抗しようとする「引俄反清」「斥華自主」の機運があった。しかし、清からの報復を怖れた閔泳翊が、袁世凱に密告することで清当局の与り知るところとなり、清国軍の派遣と高宗の廃位が取り沙汰されることとなった。 結局、ロシア外務省は密函の受領は認めたものの、高宗の要請には応じない旨を清に約することで、国際問題としての密約事件は終息した。
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