第一次龍陵攻防戦とは? わかりやすく解説

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第一次龍陵攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)

断作戦」の記事における「第一次龍陵攻防戦」の解説

こうした中、11日騰越出発し龍陵向かって一路南下した松井連隊主力は、雨季による道路ぬかるみ河川増水悩まされつつも、15日早朝から龍陵北方向かって突進開始した遠征軍退却始め松井連隊主力17日10時龍陵入り守備隊との連絡成功した。さらに松山師団長は、騰越方面から猪瀬大隊宮原大隊重連隊の第3大隊)武田大隊(松井連隊第1大隊)を抽出して龍陵戦線転用したが、この結果歩兵148連隊長重康美大佐は、寡兵をもって第20集団軍主力攻勢騰越陣地拒止することとなり、以後騰越守備隊玉砕つながった松山師団長は、龍陵周辺集結した師団主力をもって遠征軍に対して攻勢執ることとした。松井連隊19日武田大隊が復帰し隷下3個大隊が揃う)は、21日夜半頃龍陵から前進開始し23日夜に追加配属され猪瀬大隊、奥仲部隊捜索53連隊主力及び野中大隊歩兵第119連隊第1大隊))を併せ指揮して北進し、第71主力攻撃したが、衛立煌から第一線後退厳禁された第71軍は頑強に抵抗し、その逆襲執拗きわめた27日松山師団長松井連隊に、騰越方面から抽出した宮原大隊重連隊の第3大隊)及び藤木大隊主力増加し、さらに攻撃続行させたが、既に戦力限界達しており、遂に28日攻撃中止決意した各部隊7月2日夜に行動開始して龍陵付近に後退し逐次兵力集結した。 なお、この龍陵付近戦闘の間、龍陵北東位置する拉孟守備隊遠征軍包囲され孤立し激し攻撃さらされたが、寡兵勇戦して敵を阻止したまた、拉孟と同様に孤立した龍陵南東の平戞守備隊も、同地特有の風土病苦しみつつ、敵の厳重な包囲にあって孤軍よく陣地保持して戦った

※この「第一次龍陵攻防戦」の解説は、「断作戦」の解説の一部です。
「第一次龍陵攻防戦」を含む「断作戦」の記事については、「断作戦」の概要を参照ください。

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