第一次粛清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:26 UTC 版)
盛世才政権は、ソ連からの全面的な支援を受けており、ソ連から派遣された要員は、省政府の各官署に顧問として配置され大きな影響力を行使していた。さらにソ連は、盛世才の統制外にある秘密警察を直接掌握しており、さらに、ホージャ・ニヤズらテュルク系ムスリム勢力との接触も維持していた。盛世才は親ソ勢力に自己の権力基盤が崩されるのを恐れ、1937年10月に「日本帝国主義のスパイ」の罪状でホージャ・ニヤズらを、12月に「トロツキスト」の罪状でコミンテルン要員を逮捕した。盛世才は、中国共産党に接近し、陳潭秋、毛沢民(毛沢東の弟)、林基路ら共産党幹部を招聘してコミンテルン要員の後任にあてた。1937年7月にはウルムチに八路軍の代表所が開設された。 1939年、盛世才はモスクワを訪れてスターリンと会談し、ソ連共産党への入党を申請するなど、ソ連との結びつきの維持を謀った。新疆への影響力が大きくなったソ連はイギリス勢力の新疆からの駆逐を求めたため、1939年3月にはイギリス領インド人の新疆省からの追放令が出された。
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