第一次管領就任とは? わかりやすく解説

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第一次管領就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 06:30 UTC 版)

斯波義淳」の記事における「第一次管領就任」の解説

応永4年1397年)、斯波義重嫡男として生まれる。母は不明。なお、弟の義郷・持有は、父の側室である甲斐氏産んだ異母弟応永14年1407年11月19日11歳時に北山殿において武衛家の慣例により公家儀式に准じて元服この際将軍義持偏諱受けて「義淳」を名乗り従五位下治部大輔任官する応永16年1409年8月13歳という年少の身であるにも関わらず管領任じられた。これは当時幕閣第一実力者であった祖父義将(道将)の意向があったと思われる実際に管領在職中には三条坊門御所への移転などを差配しているが、その実祖父にあり、将軍家御教書署名も父の義重が花押している。 やがて翌応永17年1410年5月7日祖父死去すると翌6月には管領職を解かれている。

※この「第一次管領就任」の解説は、「斯波義淳」の解説の一部です。
「第一次管領就任」を含む「斯波義淳」の記事については、「斯波義淳」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの斯波義淳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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