第一次発掘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:35 UTC 版)
1947年(昭和22年)にはまだ文化財保護法が制定されておらず、若草中学校の建設工事に学術調査は行われなかった。しかし、若草中学校の職員であった伊達が、地下遺構の調査を行った。この時珍しかったブルドーザーが使用され、工事の合間を見計らいながらという悪条件の中、実施された。 この発掘調査で、築城前は墓地であったこと、その上、沢山の墓石が出土した、その中で一番多かったのは五輪塔であったことが明確になった。これらの石は、角石に石垣が使われ、石垣が築きにくい場所には、土塁、溝を造るのに利用されたと思われている。また、その土塁は小さいもので高さ0.8メートル、幅1.5メートル、大きいものでは3メートル、幅12.5メートルであることが確認されている。
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