第一次琉球新報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 04:33 UTC 版)
第一次「琉球新報」は、首里出身の尚順、高嶺朝教、太田朝敷ら旧琉球王国の支配層によって創設。創刊目的 に明言するように、日本に国民的に「同化」することを目指した。当時の寄留商人に牛耳られた沖縄社会を沖縄県人の手に取り戻すためには、日本に「同化」する必要があると判断し、それが成功した結果、「支配階級の機関紙」といわれた。沖縄の自由民権運動を率いた謝花昇を、第4代知事奈良原繁とともに弾圧した。社内の分裂も経ながら、3紙統合がなされた沖縄戦直前まで生き延びたのも、経営者が資産家であったこと、また県当局に妥協し、民権運動を弾圧するなど事大主義的な編集方針が幸いしたといわれる。 1940年の新聞統制により「沖縄朝日新聞」「沖縄日報」とともに「沖縄新報」に統合された。しかしながら、同紙は沖縄戦とともに新聞発行が不可能になり、1945年5月25日に廃刊した。
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