越水山遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:29 UTC 版)
越水城が築城されたと言われている場所に、越水山という比高24mの小丘陵がある。この一帯は昭和30年(1955年)までは石積み遺構や曲輪が残っていたようであるが、昭和30年以降急速な宅地化が進んで越水城の遺構も消滅してしまい十分な発掘調査ができない状態になってしまった。しかしそのような状況の中、西宮市教育委員会は何度か発掘調査を実施した。 第三次発掘調査までは越水城の遺構、遺物らしきものは確認されなかったが、弥生時代から古墳時代の竪穴式住居や土器が数多く出土し、越水山遺跡とも言われている。 その後大社小学校の改築工事に伴う第四次発掘調査で、東西、南北溝2条と、ある程度の規模を想像される瓦が検出された。これにより直ちに越水城のものであると断定できないが、越水山遺跡では中世期以降の遺構、遺物は第四次発掘調査が初見である。なお第四次発掘調査でも弥生土器が出土している。 主な越水山遺跡発掘調査回数調査開始日越水城の遺構越水城の遺物第一次発掘調査昭和52年(1977年)7月16日 確認されず 検出されず 第二次発掘調査昭和55年(1979年)7月21日 確認されず 検出されず 第三次発掘調査昭和62年(1987年)4月15日 確認されず 検出されず 第四次発掘調査平成3年(1991年)8月5日 掘削、溝2条 丸瓦、瓦器羽釜 現在も正確な位置が特定できない越水城だが、竪穴式住居の上に越水城が築城され、現在は宅地化されている。
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