越王への進言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/26 06:08 UTC 版)
時は下って紀元前476年、申包胥は恵王の母の父に当たる越王勾践の元へ使者として来朝する。この時期は越が呉を滅ぼす最終段階に入っており、申包胥は勾践から呉を倒す為の諮問を受ける。いくつかの問答を交わした後、申包胥は「戦は知を第一とし、仁が第二、勇が第三です。」と勾践に進言する。これが決定打の一つとなり、勾践は呉を滅ぼすことに成功する。申包胥は祖国を蹂躙し、親友の伍子胥を用済みとして抹殺した仇敵の呉を滅ぼす一助を成したのである。
※この「越王への進言」の解説は、「申包胥」の解説の一部です。
「越王への進言」を含む「申包胥」の記事については、「申包胥」の概要を参照ください。
- 越王への進言のページへのリンク