第一次箕島高校監督時代
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1965年箕島高校部長を経て翌1966年箕島高校監督に就任。監督3年目の1968年第40回センバツ大会では、東尾修投手を擁して初の甲子園出場を果たす。それから2年後の1970年、第42回センバツ大会では、島本講平投手を擁して甲子園大会で初優勝。若い頃は選手らに対してスパルタ指導で鍛え上げたが、成績が伸び悩んだ1972年5月に信任投票を行い不信任票が一票あったため一度監督を退く。
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