第一次白馬山小屋合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 03:07 UTC 版)
「白馬岳頂上宿舎」の記事における「第一次白馬山小屋合戦」の解説
1934年(昭和9年)に白馬山頂小屋は洋室付きの新館が建てられ現在の「白馬山荘」と改名され、山岳ホテルをうたった1泊10円の特別室を用意した。1938年(昭和13年)7月に白馬村は、2階建ての洋館が増設し数百人を収容できる白馬岳頂上宿舎を完成させた。これにより白馬村と白馬館との間で第一次白馬山小屋合戦が始まったとされている。白馬岳山頂部の非常に近い位置に2つの山小屋が立地することとなり、信濃四ツ谷駅では下車する登山者を相手に客引きが行われる事態となった。猿倉から白馬大雪渓-小雪渓-白馬岳頂上宿舎を経由して白馬岳頂上へ至る従来のルートの他に、小雪渓の上部から直接白馬山荘へ至るルートが作られた。これにより分岐点に両者の山小屋の従業員が出て、声をかけ合う事態となった。こうした事態に東京の有力者が仲裁に乗り出し、1939年(昭和14年)5月に白馬村と白馬館との間で、山小屋の共同経営の協定が締結された。利益は68%を白馬館、32%を白馬村で分け合うことで決着した。
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