クマヤー洞穴遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 02:28 UTC 版)
「砂辺陸軍補助施設」の記事における「クマヤー洞穴遺跡」の解説
アメリカ空軍の砂辺倉庫と砂辺陸軍補助施設のあいだの細い区域にクマヤーガマとよばれる鍾乳洞の洞穴の入り口がある。地下には全長約40メートルの3つの洞穴がつながり、ティラガマの入り口に抜ける。 クマヤーガマは戦争中に避難壕となり、1944年10月10日の十・十空襲とそれ以降のアメリカ軍のすさまじい艦砲射撃から300人ほどの砂辺の住民の命を守った「砂辺部落の人々の命の守り神」ともいわれる。1945年4月1日にアメリカ軍は砂辺海岸に上陸するが、その数日前に避難民はガマを出てヤンバルなどに避難した。 沖縄戦後、砂辺集落全域がアメリカ軍に接収され、ガマの入口は埋められていたため、クマヤーガマもティラガマも入口がわからなくなっていた。1956年に返還され、そのまま住宅が建設された。その後ガマの入口が発見され、1986年に古人骨・土器等が多数出土し、第一次発掘調査が開始された。 クマヤー洞穴遺跡では約5,000年前の縄文時代前期から600年前のグスク時代までの五期の遺物が確認されている。新潟産のヒスイや青磁・白磁の香炉や碗も出土し、また縄文時代晩期の2,500年前には墓所として利用され約50人の人骨も発見され、風葬や改葬の歴史を研究する上でも重要な遺跡となっている。
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