第二次龍陵攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
第56師団主力が龍陵から芒市へ後退するに当たり、龍陵には工兵第56連隊主力、野中大隊(第53師団歩兵第119連隊第1大隊)、藤木大隊(第2師団歩兵第29連隊第2大隊)、歩兵第113連隊及び第148連隊の残留隊からなる守備隊が残置された。守備隊の兵力は、第2野戦病院の入院患者を合わせ、合計約2,500名だった。 龍陵守備隊は、6月中旬の第一次龍陵攻防戦の苦しい経験を踏まえ、工兵隊を主力として昼夜兼行で陣地強化に努めた。しかし、師団主力の撤退を知った雲南遠征軍は、7月7日以降再び龍陵付近に進出し、7月中旬頃から激しい攻撃を行った。守備隊も頑強に抵抗したが、空地からの猛攻に龍陵市街はほとんど廃墟と化し、陣地は逐次占領されて、8月下旬には守備隊の玉砕が見込まれる深刻な戦況となった。松山師団長は、取り急ぎ宮原大隊(歩兵第148連隊第3大隊)を龍陵に急派することとし、軍主力の龍陵進出まで万策を尽くして同地を確保するよう命令した。宮原大隊は8月25日に芒市を出発、敵を撃退しつつ27日に龍陵に突入し、守備隊と合流した。
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