競技かるたの成立
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百人一首を用いた競技は明治時代以前から行われていたが、そのルールは地方、かるた会によってまちまちであった。競技かるたのルールの統一が図られたのは明治37年(1904年)、ジャーナリストの黒岩涙香によってであった。黒岩は「東京かるた会」を結成し、第1回の競技かるた大会を開催した。その後、ルールについては微妙な修正を経て、現在に至っている。 競技かるたの全国団体としては、昭和9年(1934年)に「大日本かるた協会」により全国統一が図られた。その後、戦中、戦後の分裂を経て、昭和32年(1957年)に、昭和29年結成の全日本かるた協会に統一された。「全日本かるた協会」は平成8年(1996年)に社団法人の認可を受け、現在に至っている。協会では昭和30年(1955年)から男子選手の最強を決める名人戦を、昭和32年(1957年)から女子選手の最強を決めるクイーン戦を主催している(名人・クイーン参照)。 他に百人一首の団体としては、競技性よりも文化的側面を重視する「日本かるた院本院」、北海道で盛んな下の句かるたを行う「全日本下の句かるた協会」が存在する。
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