童貞甲子園発足の歴史
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「知ってる?24時。」の記事における「童貞甲子園発足の歴史」の解説
2004年の中ほどから童貞甲子園などといった童貞関係の企画が多くなっていた。 もともとリスナーは中高生が中心であったこともあり、2004年の中ほどから知ってるサポーター会議室の恋愛関係のコーナーを中心に恋愛経験のない童貞リスナーからの下品な応募が殺到。これに対し上田は「童貞は黙ってろ、童貞は出てくるな!」「童貞はメール送ってくんな!電話かけてくんな!」「お前らイカくせぇんだよ!」「お願いです、童貞の皆さん引っ込んでてください!!」といった童貞バッシングを展開したところ、童貞リスナーから上田に対し怒りのメールが殺到。上田は抗議のメールが来ても態度を変えなかった。それによりニッポン放送の社屋が有楽町に移転した同年の9月頃から童貞リスナーは怒りを爆発させ、そのひとり、ラジオネーム・デビット伊藤ベッカムが番組のジングル内で「有楽町のニッポン放送本社前で第1回童貞デモ行進を行う。」と、日時を示した上で発表した。しかし、宣言が発表されたものの第1回童貞デモに集まったのはラジオネーム・ゆうた1名のみで、何事もなかったかのように終了した。ところが同9月に上田が仕事の都合上放送開始時間から遅れて登場する日を狙って行われた第2回童貞デモ行進では男子7名女子1名(2名という情報もある)の計8名が本社前で「童貞の、童貞による、上田のための政治」「俺たちにも合併させろ!」(当時のプロ野球球団合併問題を捩って)などと叫び続た。「童貞に人権を」「童貞万歳!」などと書かれたプラカードも持参していた。これに対し上田は「早く帰れ!このチンかす野郎!」と発言した。またこの模様は八島ディレクターにより中継された。 その後、謝罪の意味もこめて童貞甲子園を行うことを発表したが、上田は出場するリスナーの本名をばらすと脅迫、出場したリスナーすべてが本名を曝け出した。その後聴取率が良かったことから上田は童貞リスナーをバッシングすることを控え、第二回にあたる地獄童貞甲子園が開催された(地獄童貞甲子園は本名を出さないリスナーもいた) ちなみに上田も高校時代は童貞の番長であった(上田晋也と古坂和仁のオールナイトニッポンRによると、上田の初体験は19歳とのこと)。しかしその後、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンで初体験は20歳だったということが発覚。上田が見栄を張って嘘をついたらしい。
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