立川の強風「清川だし」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:32 UTC 版)
「立川町の風力発電」の記事における「立川の強風「清川だし」」の解説
旧・立川町清川地区→ 庄内平野の地形図における旧立川町清川地区の位置。 最上峡の出口にあたる。 山形県の庄内地方に位置する立川町は強風の地として知られる。この風は「清川だし」と呼ばれ、主に春から秋にかけて発生する南東の強風を指す。高気圧が三陸沖の太平洋上またはオホーツク海上にあるときに局地的な強風が吹き、特に東高西低の気圧配置で、等圧線が山形県内で南北方向に走り、幅が狭くなっているほど風が強まる。これはオホーツク海付近で発生した冷気団が奥羽山脈を越え、新庄盆地に滞留したのち颪となって最上川峡谷で収束し、庄内平野に吹き出すためである。立川町は最上川峡谷の出口にあたるため、この影響を最も受ける位置にある。中でも町内の清川地区(旧清川村)は峡谷の出口に最も近く、「清川」の名はこの付近から東風となって庄内平野へ吹き渡ることによる。 この「清川だし」は岡山県那岐山麓で吹く「広戸風」、四国山地を越えて吹きおろす愛媛県四国中央市(旧伊予三島市)付近の「やまじ風」と並び「日本三大悪風」と呼ばれる局地風で、秒速15メートルから20メートルに達することがある。一方で冬は北西の季節風が強く吹き、地吹雪が発生するなど、一年を通じて風が強い土地である。平均風速は秒速4.1メートル、10メートル以上の風も年間90日前後と多く、内陸部にありながら全国的にもまれな強風地帯となっている。 米どころ庄内平野の一角である立川町で「清川だし」はしばしば農作物に被害を与え、5月から6月には田植え直後の稲の生育を妨げ、8月から9月にかけては稲が強風にはたかれ籾が落ち収穫に影響を及ぼすだけでなく、果樹の落下や畑作物への痛みを引き起こして商品価値を下げる、ときには大火の原因となるなど、地元においては長らく厄介なものとされ、悩みの種であった。 強風による農業条件の悪さから離農者も相次ぎ、1960年(昭和35年)頃から町は急速な過疎化に突入していた。1976年(昭和51年)には全国的な冷夏に見舞われた上にだし風の直撃を受けたことで町の農業は壊滅的な被害を受け、被害総額は5億円にまで上った。
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