立地と周辺遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 04:51 UTC 版)
岩野山古墳群は、1960年(昭和35年)に耕作者によって発見されたのち、郷土史家の分銅志静の知るところとなって、地元で注目されることとなった。遺跡は、八郎潟東岸に南北にひろがる洪積台地のひとつ、通称「岩野山」に立地している。「岩野山」は、出羽丘陵より北西方にのびた舌状台地で、古墳群は標高36メートル前後の台地先端部に位置している。 秋田県の日本海沿岸部には、他に、井川町の飛塚古墳群、男鹿市の脇本飯の町古墳・エソガ台古墳、秋田市の久保台古墳・新屋浜古墳(現在消滅)・小阿地古墳、由利本荘市の道川古墳があるが、いずれも当古墳群よりも南方に位置する歴史時代の古墳であり、当古墳群より北の米代川流域からは類例がないため、しばしば「日本海沿岸部最北の古墳群」と称される。 当古墳群のある五城目町からは、小池字開防で9世紀後葉から10世紀にかけての製鉄関連集落遺跡「開防遺跡」、大川谷地中字谷地で奈良・平安時代の官衙的性格をもった遺跡「中谷地遺跡」が見つかり、ともに発掘調査がおこなわれている。
※この「立地と周辺遺跡」の解説は、「岩野山古墳群」の解説の一部です。
「立地と周辺遺跡」を含む「岩野山古墳群」の記事については、「岩野山古墳群」の概要を参照ください。
立地と周辺遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:23 UTC 版)
三神峯は、名取川の北約2キロメートルのところにある台地状の丘で、東西に長い。南と東に仙台平野に接し、背後に丘陵地を背負っている。山の下は仙台平野で、南の麓を笹谷街道が東西に走る。 三神峯遺跡は丘の上の平坦地を占めるが、北西の隣接地は芦ノ口遺跡という縄文時代以降の遺跡である。古墳時代には台地の西に小さな3基の三神峯古墳群が築かれ、山の南の麓に富沢窯跡、東の斜面に金山窯跡が置かれた。また、北東の斜面に土手内横穴墓群という横穴墓がある。
※この「立地と周辺遺跡」の解説は、「三神峯遺跡」の解説の一部です。
「立地と周辺遺跡」を含む「三神峯遺跡」の記事については、「三神峯遺跡」の概要を参照ください。
- 立地と周辺遺跡のページへのリンク