移動撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:34 UTC 版)
小津は移動撮影をほとんど使わず、できるだけカメラを固定して撮影した。晩年に小津は移動撮影を「一種のごまかしの術で、映画の公式的な技術ではない」と否定したが、初期作品では積極的に使用しており、『生れてはみたけれど』では43回も使われている。やがて表現上の必然性がある場合を除くと使うのをやめ、とくに表面的な効果を出したり、映画的話法として使用したりすることはほとんどなくなり、トーキー作品以後は1本あたりの使用回数が大きく減った。現存作品の中では『父ありき』と『東京暮色』とカラー時代の全作品において、全てのシーンが固定カメラで撮影されている。また、パンの使用もごく数本に限定されている。 後年の小津作品における移動撮影は、カメラを動かしてもショット内の構図が変化しないように撮られている。例えば、屋外で2人の人物が会話をしながら歩くシーンでは、移動しても背景が変化しない場所(長い塀や並木道など)を選んで、他の通行人を画面に登場させないようにし、人物が歩くのと同じスピードでカメラを移動させた。貴田はこうした移動撮影が「静止したショットのように見える」と述べている。『麦秋』で原節子と三宅邦子が並んで話しながら砂丘を歩くシーンでは、小津作品で唯一のクレーン撮影が行われているが、これも砂丘の高い方から低い方へ歩いて行くときに、構図が変化しないようにするために用いられている。
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