科学アカデミーでの活動
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「マリア・マルガレータ・キルヒ」の記事における「科学アカデミーでの活動」の解説
1700年、キルヒ夫妻はブランデンブルクに住み、同年ゴットフリートはプロイセン科学アカデミーの天文学者になった。マリアも非公式ではあるが、ゴットフリートの助手として働いた。 マリアは、昼間に計算作業のかたわら家事・育児をし、夜はゴットフリートと交代しながら天文台で星を観測した。そして1702年、マリアは今まで知られていなかった彗星C/1702 H1(英語版)を観測した。そのときの様子は、当日にゴットフリートが記している。 早朝に(午前2時ころに)空はよく晴れ、星がいっぱいであった。それ以前の幾晩かに、私はある変光する星を観測していたが、(私の就寝中に)妻は独力でその星を見つけ同定したいと考えた。そうして彼女は空に彗星を見つけたのであったそれから彼女は私を起こし、私はそれがまぎれもなく彗星であることを認めた。その星が前の晩には見られなかったことに、私は驚いてしまった。 しかし、この発見を報告する際、ゴットフリートは自分の名前のみを出したため、マリアの貢献について知られることはなかった。1710年になってから、ゴットフリートは、マリアがこの彗星を発見したことを雑誌『ベルリン雑集』で明らかにした。 当時のアカデミーには資金が無く、観測機器が十分にそろわなかった。貴重な収入源として暦の販売があり、マリアとゴットフリートは天体観測に加え、暦の製作にもあたることになった。 さらにマリアは、1707年から1711年にかけて3本の論文を発表した。また1709年には、アカデミーの理事長ゴットフリート・ライプニッツの推薦で、プロイセンの宮廷で発表する機会を得た。マリアはこの場で太陽の黒点観察について説明し、宮廷に好意的な印象を与えた。
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