秋田銀線細工とは? わかりやすく解説

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秋田銀線細工

名称: 秋田銀線細工
ふりがな あきたぎんせんざいく
芸能工芸区分 工芸技術
種別 金工
選択年月日 1955.03.19(昭和30.03.19)
選択要件
備考
解説文:  江戸期秋田藩では、院内阿仁の両鉱山が銀を産し庄内正阿弥派流れを汲む工人達が中心となって盛んに銀器製作された。幕末には名古屋打と呼ばれた髪飾と平戸細工技法導入され細緻な秋田銀線細工の技術確立された。明治大正銀線細工大いもてはやされたが、その後風俗変遷に伴い漸次姿を消しつつある。技法特徴は、極細銀線使用自在な銀鑞付にある。銀塊を延【の】べて細い銀線加工、これを手先単純な工具で縄様に撚【よ】り、均【な】らして各種の線文様成形する最後に秘伝とされた鑞付法によって、銀材の美しさ生かした精緻な作品でき上る

秋田銀線細工

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 16:36 UTC 版)

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銀線細工のブローチ

秋田銀線細工(あきたぎんせんざいく)は、秋田県で生産されている伝統工芸品である。秋田県伝統工芸品および秋田市指定無形文化財に指定されている。

概要

細工であり、線径0.2〜0.3mmの純銀線2本をより合わせた「より線」でパーツを作り、銀枠にはめ込み造形する。細い線状にした純銀の銀線を伝統の技法でさまざまな形に加工して並べていく事によって輝きをもった緻密な精緻な模様を作ることができ、ネックレス指輪などといったさまざまなアクセサリーや美術品が制作されている[1]

歴史

江戸時代初期から秋田では本格的な鉱山の開発が積極的に行われ、日本有数の鉱山を有するなど鉱業が発展し、豊富な金銀が供出された。それに伴い歴代藩主の保護奨励のもと、久保田城下では職人町が形成され金工師が集まり、主に武家向けとして刀装具や装身具などの金銀工芸が盛んになった[2]1923年の「秋田懸産業調査参考書」には、佐竹氏に仕えた名工・正阿弥伝兵衛(本名:鈴木重吉)とその子孫が興した金銀細工についての記述がある[2]

明治時代になると、武士階級の需要は途絶え金工が廃れた一方で、など装飾品の生産が盛んになった[2]。それまでオランダ経由で長崎から広まっていた、銀板を土台にした「平戸細工」からさらに発展した、緻密で大きな飾りつけが可能な特色ある銀線細工が作られるようになった。昭和時代には戦争により一時中断されるが、工芸の指導所などが開設されるなど生産が続けられた[2]。1955年(昭和30年)には国の文化財保護審議会で「記録作成等の措置を講ずるべき無形文化財」に選択されるなどして[2]、銀線細工は一つの工芸として確立し広まるに至った。1996年(平成8年)には秋田県伝統工芸品および秋田市指定無形文化財にも選定された[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 秋田銀線細工 - 手しごと秋田
  2. ^ a b c d e f 秋田銀線細工の歴史 - 一般社団法人 LINK SUPPORT

関連項目

外部リンク



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