秋田重季とは? わかりやすく解説

秋田重季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 03:21 UTC 版)

秋田重季
あきた しげすえ
生年月日 1886年10月12日
没年月日 (1958-02-13) 1958年2月13日(71歳没)
出身校 東京帝国大学工科大学卒業
前職 鉄道院技師
所属政党 研究会
称号 従三位
配偶者 秋田芳子
子女 秋田一季
親族 父・大原重朝(貴族院議員)
養父・秋田映季(貴族院議員)
兄・大原重明(貴族院議員)

在任期間 1919年5月17日 - 1947年5月2日
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秋田 重季(あきた しげすえ、1886年明治19年)10月12日[1] - 1958年昭和33年)2月13日[1][2])は、明治から昭和時代の技術者政治家華族貴族院子爵議員秋田家第14代当主。旧名・重光[1]

生涯

公家出身の伯爵大原重朝の二男[1]であったが、元三春藩主で子爵秋田映季に嫡男が居なかったため、その娘の芳子と結婚して秋田家を継いだ[1]。養父の死去に伴い1907年(明治40年)3月6日、子爵を襲爵[1][3]

1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学を卒業[1][2]。同年、逓信省臨時発電水力調査局雇となり、鉄道院技手、同技師などを務める[2]。また、歌会始講頌となる[2]

1919年大正8年)5月17日、貴族院子爵議員に選出され[4]研究会に属し貴族院が廃止された1947年(昭和22年)5月2日まで在任[2]1946年(昭和21年)には永年在職議員として表彰を受けた[2]

また、谷口隆之助から『生命の実相』を紹介されたことをきっかけに、生長の家に入信。戦前は本部教化部長・企画部長・理事長を歴任[5]、戦後は生長の家社会事業団理事長、児童養護施設生長の家神の国寮寮長を務めた[6]

1958年(昭和33年)に71歳で死去し、妻・芳子との間に生まれた一季が後を継いだ[1]

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』17頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』33頁。
  3. ^ 『官報』第7103号、明治40年3月7日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
  5. ^ 内務省警保局『特高外事月報・昭和12年1月分』、169頁。
  6. ^ 児童養護施設生長の家神の国寮令和6年度事業計画
  7. ^ 『官報』第1863号「叙任及辞令」1933年3月18日。
  8. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 上巻』321-322頁。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。


先代
秋田映季
秋田氏
第14代当主
1907年 - 1958年
次代
秋田一季
日本の爵位
先代
秋田映季
子爵
三春秋田家第2代
1907年 - 1947年
次代
華族制度廃止




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