福音主義(evangelisch)の教会名称としての定着と発展
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「福音主義教会」の記事における「福音主義(evangelisch)の教会名称としての定着と発展」の解説
中世において、「福音的」あるいは「福音主義」(ドイツ語: evangelisch, ラテン語: evangelicus)という語は、教会批判の意味を持ちながら使われていた。„Vita evangelica et apostolica“が代表的用例である。 宗教改革期において、福音主義(evangelisch)という語と概念はローマ・カトリック教会を批判する場合に使われ、マルティン・ルターの教えとルター主義者と呼ばれた支持者たちを示す際に用いられた。しかしながら、ルター自身の名から作られた「ルター派(ドイツ語: Luthertum, Lutheraner, lutherisch)」という教会名称に関しては、ルター本人は明確に拒否していた。ルターは「ルター派」という自己表示名称を拒否したが、「福音主義」という語で自身の神学的立場を表明した。しかし、ルターにとって「福音主義」という語は決して一つの党派的名称ではなく、「キリスト教的」(christlich)と同じ意味で用いられていた。福音主義に関する理解において、宗教改革の教えは直接聖書の福音に依拠しているものと見なしていたからである。 1555年のアウクスブルクの宗教和議によって、ルター派の基本信条である1530年のアウクスブルク信仰告白に署名した諸侯や帝国自由都市の福音主義信仰が認められた。この信仰告白に署名しなかった者たち(主にカルヴァン主義派)が次第に「改革派教会」(Reformierte Kirchen)を名乗るようになり、アウクスブルク信仰告白側の勢力(ルター派)は「福音主義」という呼称を、自分たちを示すものとして使うようになったのである。 教派化の流れの中でルター派教会、改革派教会という教会組織も形成され始め、福音主義教会(Evangelische Kirche)という呼称は、ルター派教会と改革派教会の上位概念になっていく。ルター派だけでなく改革派教会も容認したヴェストファーレン条約(1648年)締結後、福音主義という語は重要な組織概念になった。その後、ルター派教会、改革派教会という教会名称も神聖ローマ帝国において公的なものとして認知された。それに対して、アナバプテスト(再洗礼派)などの宗教改革急進派は、この時点では「福音主義教会」に含まれなかった。 1817年のルター派と改革派教会の教会合同によって成立したプロイセン福音主義教会において、「福音主義」という語が合同教会を包括的に示すものとして使われた。 さらに、現代のドイツ語圏において「福音主義」という語は、ルター派・改革派教会とその2派の合同教会以外にも、前述のアナバプテストや、メソジスト、バプテスト等の16世紀宗教改革より後に成立した諸派をも含めた、いわゆるプロテスタント全般(在来の「州教会(ドイツ語版)」に対して「自由教会」と呼ばれる)を指しても使われるようになった。ドイツでは教会税申告時に、ドイツ福音主義教会(EKD)に加盟している教会への所属を示すものとして「福音主義」(evangelisch)の略語である「EV」を選択することとなっており、プロテスタント、ルター派、改革派等という名称は使われない。
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