福来友吉のもとでの実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:07 UTC 版)
「高橋貞子 (超能力被験者)」の記事における「福来友吉のもとでの実験」の解説
当時、貞子たちは鵜澤總明の邸宅内の一戸に住んでおり、鵜澤が福来と面識があったことから、鵜澤の紹介を通じて福来が貞子に関心を示し、福来のもとで実験の行われる運びとなった。この実験では、貞子は精神統一の後、あたかも別の人格が宿ったかのような言動で透視や念写を行った。これが御船千鶴子や長尾郁子と異なる大きな特徴であり、福来はこの別人格を「霊格」と呼んだ。 1913年(大正2年)3月2日の最初の実験では、高橋宅の近くの医師の家で、久保良英、後藤牧太、桑田芳蔵、今村力三郎らの同席のもと、福来が持参して隠し持っていた写真乾板に念写を行うことが試みられた。しかし、福来は12枚の大きな乾板を用意したにも関わらず、貞子は「昨夜の夢で乾板が5枚と知っている」「5枚の小さな乾板」と、違うことを言った。念写の結果も、福来の乾板へは成功せず、すでに医師宅にあった別の乾板に感光していた。福来は、貞子の能力は福来の方ではなく、その医師宅の乾板の方へ向かったものとも解釈したが、この実験に学術的価値はないと認めざるを得ず、第1回実験は失敗と見なされた。 翌月の4月27日には第2回実験が、福来の自宅で行われた。福来は新品の乾板12枚から3枚を抜き出し、紙で何重にも包み、さらにボール箱に入れて封をして用意し、信頼のおける書生に監視させておいた。夜6時頃に貞子が福来宅を訪れ、「妙法」の2字を念写する旨を告げた。夜8時半頃より、久保と高橋穣(心理学者)が立ち会いのもとで、実験が始められた。この結果、3枚の乾板の内の1枚に「妙法」の2字が感光していた。 5月10日には、第3回実験が行われた。貞子はこの3日前に頭痛を患い、福来より催眠術による治療を受けており、その催眠状態において「次の実験では『天』の字と自分の指3本を念写する」と告げていた。実験当日、福来は前回同様に、新品の乾板を包装した上に封をして用意しており、久保、後藤、桑田、井上哲次郎、筧克彦が立ち会った。この実験では、貞子が前もって告げていた「天」の1字と自分の指3本の他、「金」の字や、丸い形、サンゴ礁、小さな丸い点の感光が確認された。福来が貞子に、前もって宣言した内容以外の感光内容について尋ねると、貞子はその記憶はまったくないとのことであった。福来は、長尾郁子の実験でも同様のことがあったため、貞子の潜在観念が念写に現れたものと解釈した。 福来はこれらの実験結果をもって、貞子の透視や念写能力を事実と確信するに至った。宮二は福来を深く信頼し、貞子を学会研究のために献上することを宣言した。
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