福井工業専門学校時代
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「福井高等工業学校」の記事における「福井工業専門学校時代」の解説
1944年4月: 福井工業専門学校と改称。本科学科を改組、建築科・機械科・化学工業科・電気科・化学機械科の 5科となる。 旧繊維工業科の設備は京都繊専紡織科に移設された。 1945年: 文部省科学研究補助技術員養成科を設置。計算製図科・計算測定科・電気計測科。 1945年7月19日: 空襲で校舎設備 6398坪中 4606坪を焼失。 1945年11月: 生徒大会、舞鶴の旧海軍施設への移転案に反対決議。福井市や地元業界からの反発も強く、鯖江・武生への移転案も立ち消えに。 1946年4月: 本科に紡織科・色染科が復活。本科学科は機械科・建築科・電気科・紡織科・色染科の 5科となる。 1947年1月: 福井工業大学設置期成会結成。 1948年5月: 文部省の一県一大学方針により、師範学校と合同で大学昇格へ。 1948年6月28日: 福井地震で校舎設備に被害 (全壊995坪・半壊735坪、残存955坪)。 1948年7月: 九頭竜川氾濫で浸水、機械設備に被害。 1949年5月31日: 新制福井大学発足。旧制福井工専は工学部 (建築学科・紡織学科・繊維染料学科) の母体となって包括された。 1951年3月: 旧制福井工業専門学校、廃止。
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