福井大震災と昭和の大改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 13:48 UTC 版)
「九頭竜川」の記事における「福井大震災と昭和の大改修」の解説
1948年6月28日、福井市を震度7級の激震が襲った。この福井地震により市街地は壊滅的被害を受けたが、それに追い討ちを掛けるように同年7月25日には集中豪雨により、上志比村左岸の堤防が決壊。福井市内は冠水して再起不能寸前に陥った。当時の福井市長熊谷太三郎が、福井市内の浸水被害から河川への排水を重要視、建設省などに治水のための予算配分などを要望した。結果、福井市内などに排水機場や排水樋門などの整備が進行、また足羽川放水路の改良工事などの大改修を行った。 この熊谷による治水事業は、杉田定一の「明治の大改修」に比肩するものとして「昭和の大改修」と呼ばれた。この改修事業で福井市は災害から復興を始めることができた。また、九頭竜川は鳴鹿地点で分流しそれぞれ表川・裏川と呼ばれたが、洪水調節と農地開墾のために表川を本川として裏川を締め切ることになり、1968年(昭和43年)に締め切り工事は完成し流路は一本化された。
※この「福井大震災と昭和の大改修」の解説は、「九頭竜川」の解説の一部です。
「福井大震災と昭和の大改修」を含む「九頭竜川」の記事については、「九頭竜川」の概要を参照ください。
- 福井大震災と昭和の大改修のページへのリンク