福井市内に残る天一のエピソード
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「松旭斎天一」の記事における「福井市内に残る天一のエピソード」の解説
『福井新聞』1910年(明治43年)9月2日付には、次の記事が掲載されている。 「天一師の美挙」昨日より昇平座に拠りて花々しく開演したる松旭斎天一師が当福井出身なることは已に人の知る処なるが天一師はその福井出身の故にて折に触れて当地の為めに図り昨年来福の節は育児院の為めに一日の慈善興行をなし尚ほ藤島社へ石灯籠を献納したるが今年はその趣向を変へ天一師が興行期間中入場券の幾部を育児院の手にて売捌き貰ふことゝしそのうちより幾分を育児院へ寄付する事としたるが育児院に売捌く入場券は普通五十銭の処を四十銭(小人は半額)とする由なれば一方に於て慈善となると仝時に一方に於て自個の利益となるを以て天一を看んとする人々は可成育児院の手より買ひ求めやるがよからん因みに天一の後嗣天二は今回は故国に於ける初めての開演なるより之を紀念せん為め藤島神社へ手洗場の奉納方を申込みたり
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