禁教令の緩和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:45 UTC 版)
幕末、開国が始まると禁教令の緩和が取られ始めた。 1859年(安政6年)、幕府は開港場居留地において、外国人の信仰の自由を認め、宣教師の来日を許可した。カトリック教会はパリ外国宣教会を通して宣教師を派遣し、フランス横浜領事館付通訳兼司祭として来日したS・B・ジラールは江戸入りしている。またジラールは1862年1月(文久元年12月)に横浜天主堂を建立している。その他にも「隠れキリシタンの発見」で有名なベルナール・プティジャンは、1862年に来日し、1864年に大浦天主堂を建立している。 アメリカ、イギリス、カナダ、オランダからはプロテスタントの宣教師が来日している。正教会からは1861年ニコライ・カサートキンが函館ロシア領事館附属礼拝堂司祭として来日し、後に日本ハリストス正教会を設立している。 ただし、信仰の自由及び、活動が認められたのはあくまで外国人居留地であって、依然日本人に対する布教や日本人の信仰は禁止されていた。プティジャンは大浦天主堂で隠れキリシタンを発見して密かに信徒として匿ったが、それが結果として1867年(江戸幕府の最晩年)に浦上村の信徒が幕府に発覚するきっかけとなり、大きな問題となる(浦上四番崩れ)。この一件は間もなく大政奉還によって明治政府に委ねられ、明治政府の禁教令に大きな影響を与えることとなる(後述)。
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