神奈川県による有料道路の買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
「箱根山戦争」の記事における「神奈川県による有料道路の買収」の解説
一方で、伊豆箱根鉄道が運営する自動車専用道路についても1960年3月には神奈川県に買収を求める決議案が提出されるなど、動きがみられるようになった。 湖尻と元箱根を結ぶ自動車専用道路湖畔線には、県道が併走していた。団体の観光客が観光バスで芦ノ湖を訪れると、湖尻と元箱根の間はバスを回送させることになる。ところが、県道は道幅が狭い上、伊豆箱根鉄道が敷地をいっぱいに使用した上で石垣を設置してしまった ため、これが県議会で一部から反発を買い、神奈川県による自動車道の買収が俎上に上るようになったのである。しかし、同年4月28日に視察が行なわれた際にも、この県道の改修は困難であるとみられた ことから、神奈川県知事の内山岩太郎は「半年以内に湖畔線を買収する」と答弁した。 自動車道の買収案が出ると、元箱根の住民からは「一刻も早く買収を」という意見が出る一方、強羅地区の住民からは「湖畔線よりも早雲山線の買収をして欲しい」という意見が出るに至った。これを受けて内山は、まず同年12月の県議会において湖畔線の買収予算を計上した。しかし、箱根町からは「湖畔線と早雲山線の両方とも買収して欲しい」という要望が出された ため、内山は早雲山線も買収することを約束し、ひとまず1961年4月1日に湖畔線を買収して県道として解放した。 一方、早雲山線は伊豆箱根鉄道のドル箱的事業でもあり、伊豆箱根鉄道と西武鉄道の社内では「買収に反対」という意見が圧倒的であった。しかし、堤康次郎は内山を「総理大臣としてもやっていける人物である」と高く評価していた。また、堤康次郎の次男の堤清二も、将来西武百貨店が渋谷に進出する時を考慮し、争いの火種となりかねない有料道路を神奈川県に委譲することによって、東急側に貸しを作っておこうと考えていた。こうした事情から、堤康次郎は1961年9月27日に神奈川県からの自動車道買収の申し出を受諾し、同年10月10日から早雲山線も県道として解放された。
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