神保朋世とは? わかりやすく解説

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神保朋世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:13 UTC 版)

神保 朋世(じんぼ ともよ、1902年4月25日1994年3月10日)は、大正時代から平成時代にかけての挿絵画家、日本画家版画家俳人

略歴

鰭崎英朋及び伊東深水の門人。本名は神保貞三郎。俳号は窓良子。牡丹園経営の父三吉、母マサの三男一女の長男として東京日本橋薬研堀に生まれる。1917年朝日新聞社に入社した後、挿絵画家として知られていた英朋に師事、朋世の号をうけた。その後、本画の制作を志して1940年に深水にも教えを受けた。主に美人画を描きながら、社会主義への共感から大衆芸術に深い関心を抱き、挿絵の制作を中心とするようになり、雑誌講談倶楽部』、『週刊朝日』、『週刊新潮』、『オール読物』などにおいて小説の挿絵を手掛けている。また、1926年国民新聞連載の講談の挿絵など各種新聞の挿絵も描いており、第二次世界大戦戦前の1931年から『オール読物』において連載が開始されていた野村胡堂の「銭形平次捕物控」では、著者の胡堂が逝去するまで30年に亘って挿絵を描き続けた。ほかに邦枝完二の「振袖役者」の挿絵が著名である。1937年8月に「神保朋世版画研究会」を自宅に設け、『神保朋世木版画集』を私家版により出版している。これは第一集『春宵』、第二集『夜情』、第三集『雨後』と三集を刊行、全て彫は佐藤寿録吉、摺は猪村正之助が担当をした。木版画は「雨」などの美人画8点と「芭蕉翁之図」があるといわれる。俳句結社『窓』を主宰していた。著作に1967年芳賀書店刊行の『耽美うき世絵ばなし』がある。1994年3月10日午前8時20分、老衰のため東京都新宿区中落合の自宅で死去した[1]。享年91。

作品

  • 「雨」 木版画 1938年
  • 「ほろ酔い」 木版画 1939年
  • 「夜懐」 木版画 1959年
  • 「静夜」 木版画 1980年
  • 「あたゝか」 木版画 1981年
  • 「芭蕉翁之図」 木版画

出典

  1. ^ 『日本美術年鑑』平成7年版 342頁。

参考文献

  • 東京国立文化財研究所編『日本美術年鑑』平成7年版 大蔵省印刷局、1996年
  • 『神保朋世展 : 最後の浮世絵師 : 芳年・年英・英朋・朋世の系譜をたどる』 弥生美術館、1997年
  • 油井一人編 『20世紀物故日本画家事典』 美術年鑑社、1998年
  • 『おんなえ 近代美人版画全集』 阿部出版、2000年
  • 上田正昭ほか編 『日本人名大辞典』 講談社、2001年
  • 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名大事典』 日外アソシエーツ、2004年
  • 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年



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