神保成吉とは? わかりやすく解説

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神保成吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 23:22 UTC 版)

1956年

神保 成吉(じんぼ せいきち、明治29年(1896年2月29日 - 昭和40年(1965年11月7日)は、日本電気工学者。

人物

明治29年(1896年)、石川県金沢市にて、実業家神保八十吉の長男として生まれる[1]金沢第一中学校第四高等学校を経て、大正8年(1919年)、京都帝国大学電気工学科を卒業[2]

逓信省に入省し、同省電気試験所技師兼逓信局技師となる[3]。昭和3年(1928年)、ドイツアメリカカナダへ留学[3]。昭和4年(1929年)、電気試験所第1部長となり、陸軍技術本部嘱託を兼任[4]。昭和7年(1932年)、誘導型積算電力計の研究で工学博士の学位を得る[3]。昭和8年(1933年)10月、パリで開催された第8回万国度量衡総会に帝国委員(日本代表)として出席[5]

三菱電機研究部次長、同技術顧問を経て、東京明治工業専門学校校長、明治大学工学部部長(初代)、明治大学科学技術研究所所長を歴任した[2]。電気工学、電気計測に関する研究が多く、著書に『試験技術と特殊測定』『電気磁気測定』『電気磁気学』『電気回路論』などがある[2]

脚注

  1. ^ 『日本官界名鑑 昭和13年版』シ34頁『人事興信録』シ120頁
  2. ^ a b c 『石川県史 現代篇 第3』172頁、『日本人名大事典 現代』405頁
  3. ^ a b c 『日本人名大事典 現代』405頁、『日本官界名鑑 昭和13年版』シ34頁
  4. ^ 『日本人名大事典 現代』405頁
  5. ^ 1933年[所外の出来事] - 独立行政法人産業技術総合研究所、『日本官界名鑑 昭和13年版』シ34頁

参考文献

  • 『日本官界名鑑 昭和13年版』(日本官界情報社,1937)シ34頁
  • 『人事興信録』(人事興信所,1931)シ120頁
  • 『石川県史 現代篇 第3』(石川県,1964)
  • 『日本人名大事典 現代』(平凡社,1979)

関連項目

外部リンク




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