社会的地位と流動性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:37 UTC 版)
イギリスにおいてジェントリが「ジェントルマン」として社会的尊厳を保ち続けていたことはよく知られているが、これは彼らが広大な土地を所有する地主(不労所得者)として単に贅沢を楽しみ収奪する存在だけではなく、(少なくとも建前の上では)地域社会に奉仕する名士として振るまい、かつそれを周囲に示し続けることで、彼らの支配こそが最上の者による支配なのだという印象を終始維持し続けられたためである。それは、戦争があれば自ら率先して戦場に赴くことであったり、治安判事などの官職を無給で引き受けて地域の治安維持や収税に努めることであったり、慈善事業に積極的に取り組んで地域社会に貢献することであった。これらの行いはノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige ― 高貴なる者の義務)と呼ばれ、商業的に成功した新興の富裕者(成り上がり者)と異なり、ジェントリは自己の利益だけを顧みない(実際には無給の官職は不労所得者(つまり上流階級)以外の政治参加への道を閉ざしていたことはさておき)名士的な存在であるとの印象を周囲に与えた。 16世紀になると社会の発展や変化に伴って、中間層(ミドリング・ソートと呼ばれる人々)の勃興が始まるが、商業的に成功して莫大な富を手に入れた彼らは、その成功に見合った名誉と尊敬を求め始めるようになる。彼らに地主貴族層への仲間入りの機会を提供したのは、ヘンリー8世による宗教改革であった。宗教改革によってカトリックの修道院は解散させられ、その領地は王領地へと編入されたが、その土地は後に行政機構改革(政府債務削減)の財源とするために売却されることとなった。この旧修道院領を買い取り、自身の所領とすることで、成功した中間層は念願のジェントリとなることができたのである。こうして「ビジネス」で成功した人物(中流階級)が、成功の仕上げとして土地を買い取りジェントリ(上流階級)になるという道筋は定着していった。時代を経て、立身出世の手段が金融や交易から海外植民地との貿易や植民地経営に変わっても、この道筋は変わらず続いた。このように、成功した人間(新興勢力)を既存体制への挑戦者ではなく、ジェントリという体制側に取り込むことによって、イギリスは硬直化していた階級社会に一定の流動性をもたらすことに成功し、同時に既存の地主支配体制をより磐石なものとすることに成功した。
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