研究に対する困難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:20 UTC 版)
「メソポタミア神話」の記事における「研究に対する困難」の解説
メソポタミアに関する学問(アッシリア学)の歴史は浅く、19世紀の半ばに始まったに過ぎない。そしてメソポタミアの宗教に関する研究は複雑で難解なテーマとなってしまっている。それについていくつか理由が挙げられる。まず、そもそも彼らの宗教は習慣によってのみ規定されており、公的な統制がとられていない。そして教義に沿った宗教というわけでもなく、体系化されているわけでもない。神話の中の神々、登場人物、そして彼らの行動はそれぞれ時代によって性格や重要性が変化する。場合によっては全く対照的な描かれかたをすることすらある。加えて宗教に関する文献(聖典)がメソポタミアの世界でどのような役割を持っていたのかが分かっていないこともこの学問を難しくしている。 何十年もの間、古代中近東を専門とする学者メソポタミアの宗教を単一の宗教と捉えることは不可能なのではないかと議論されてきた。レオ・オッペンハイム(Leo Oppenheim)はメソポタミアの宗教を体系的に説明することはできないし、するべきではない、と語っている。一方で、例えばジャン・ボッテロ(Jean Bottéro)のような学者は、メソポタミアの宗教を小さいグループに分けるには余りにも複雑すぎるとして反対している。いわく、 公式な宗教、個人的な宗教、知識人の宗教といった具合に社会的集団、文化的集団ごとにカテゴライズして考えるべきだろうか。それともエブラ、マリ、アッシリアと都市ごとに分けるべきだろうか。セレウコス朝、アケメネス朝、新バビロニア、ネオ・アッシリア、カッシート、古代バビロニア、ネオ・シュメール人、古代アッカド時代と時代ごとに分けるべきだろうか。軽率なことを言う人もいるが、その中に独立した宗教はなく、連続した状態のひとつの宗教体系が存在するだけなのだ。そのようなアプローチは極端に過ぎるし、全く無意味である。
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