真下家所蔵文書の伝来と山本氏
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山本勘助は『甲陽軍鑑』にのみ登場する武田家の足軽大将で、1969年(昭和44年)に発見された市河家文書(釧路市河家文書)において「山本菅助」の存在が確認されるのみであったが、真下家所蔵文書と「山本菅助」子孫と判明した旧高崎藩士沼津山本家文書の発見により系譜関係やその動向が明らかとなった。 真下家は群馬県安中市原市に所在する家で、安中市市原は群馬県西部の長野県との県境付近にあたり、中山道の安中宿と松井田宿の中間地点に位置する。真下家は江戸時代には薬種業を営み、原市村南の簗瀬村の名主を務めた真下家の出身とされる。 原市の真下家については江戸後期に真下利七、明治期には利七の子珂十郎が当主となっている。真下家は骨董・古美術の蒐集家として知られ、明治28年(1895年)3月には五十貝梧雲の別荘雲山房において開催された書画骨董会において書画とともに「山本勘助所着鎧」を出品しており、この甲冑は現在でも真下家に伝存し、角本の下に金泥で「生国甲斐 山本菅助晴貞 生年」と記されている。真下家が山本氏関係文書を所蔵した時期は不明であるが、この甲冑とともに利七・珂十郎時代に蒐集された可能性が考えられている。
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