白衣派と裸行派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 04:00 UTC 版)
マハーヴィーラ在世時、マガダのセーニヤ(seṇiya、仏典中に見られるビンビサーラ)王やその王子クーニヤ(Kūṇiya、アジャータシャトル)などの帰依・保護を受けて、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、彼の没後はその高弟(ガナダラ、「教団の統率者」)たちのなかで生き残ったスダルマン(sudharman、初代教団長)などにより順次受け継がれ、マウリヤ朝時代にはチャンドラグプタ王や宰相カウティリヤなどの庇護を得て教団はいっそうの拡大をみた。それ以降のジャイナ教教団史をみる上では、白衣(びゃくえ)派(シュヴェーターンバラ、śvetāmbara)と裸行派(or空衣派:くうえは、ディガンバラ、digambara)が分裂しながらも存続している。 両派の分裂は1世紀頃に起こったと伝えられる。相違点は、白衣派が僧尼の着衣を認めるのに対し、裸行派はそれを無所有の教えに反するとして裸行の厳守を説く。また、裸行派は裸行のできない女性の解脱を認めない。白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めるが、裸行派ではこれも認めない。 概して白衣派は進歩的なグループ、裸行派は保守的なグループであるといえる。ただし、両派の相違は実践上の問題が主で、教理上の大きな隔たりはみられない。 中世、イスラム教徒のインド侵入は仏教のみならずジャイナ教にも打撃を与えたが、それを契機として、ジナ尊像の礼拝を否定するローンカー(lonkā)派が新たに誕生するなど、伝統はとだえることはなかった。現在は白衣派・裸形派とも多くの分派が派生している。そのなかで最大の勢力は白衣派の尊像崇拝派(ムールティプージャカ)であり、さらに多くのガッチャと呼ばれる分派に分かれている。
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