白襷隊の突入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
「白襷隊」も参照 26日夜半、第三回総攻撃にあたって特に編成された特別予備隊(以下「白襷隊」。3,113名。総指揮官:歩兵第2旅団長・中村覚少将)が攻撃を行った。この部隊は、夜間の敵味方の識別を目的として全員が白襷を着用していた。白襷隊は午後5時に薄暮の中行動を開始、集結点で月が昇るのを待ち、午後8時30分、目標へ動き出した。 午後8時50分、白襷隊は一斉に突入を開始した。しかし目標の松樹山第4砲台西北角には幾重にも張り巡らされた鉄条網があり、その切断作業中に側背より攻撃を受ける。白襷隊はひるまず突入し散兵壕を目指すが前方に埋めてあった地雷により前線部隊はほとんど全滅。後続部隊も奮戦するが死傷者が相次ぎ第1線の散兵壕まで後退する。 午後10時30分頃、指揮を執っていた中村少将が敵弾を受けて負傷、その後同隊は翌27日午前2時頃まで激戦を繰り広げるも突破は不可能と判断され、退却となった。 この攻撃は敵陣突破に失敗し、この時点での第三軍の損害は約7千名に達した。しかし守るロシア側も一時二龍山堡塁の守備兵は数名になり、松寿山第4砲台も予備兵力が10名になるなど、もう少しで突破を許してしまうような状況に追い込まれており、ロシア側にも白襷隊の勇敢さに驚嘆する記述が多く残されている。
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