白話文運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 04:31 UTC 版)
1919年、東京市における台湾留学生組織である啓発会を新民会に改編すると共に、機関紙として『台湾青年』を創刊し、これは政治運動、社会運動の嚆矢となった。その後は『南音』、『台湾文芸』、『台湾新文学』などの文芸誌が次々とはじめられることとなった。古詩から脱却した台湾の近代文学は白話文運動の先駆者とされ、中国で発生した五四運動との関連性が研究者から指摘されている。新旧の異なる文学概念及び台湾における特殊な文学、言語環境はその後の新旧文学論戦へと発展した。しかし台湾の白話文運動は勃興して間もなく台湾総督府により制限を受けることとなり運動は低迷していく。
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