発見と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 03:56 UTC 版)
1990年頃に関西将棋会館内の将棋博物館で未整理資料の中から発見された大橋家の古文書『大局将棋駒』に記載されていた。江戸時代に考案されたと考えられているが、棋譜は現存しておらず、当時盤駒が作成された証拠もないため実際に指されたかどうかは不明である。『大局将棋駒』は関西将棋会館内の将棋博物館の閉館後、一時は大阪商業大学アミューズメント産業研究所への移管も検討されたが、最終的には大橋家の血縁者に返還された。『大局将棋駒』に記されたルールの内容は遊戯史研究家の梅林勲によって解釈された。大局将棋について詳述された最初の文献は『世界の将棋』(将棋天国社、1997年)であり、同書には梅林の解釈による駒の動きが記されている。 『大局将棋駒』の内容は、駒の名称と配置の図に駒の動きが点で付記されているのみであり、詳しいルールや制作経緯等は残されていない。将棋研究者の古作登は、江戸時代当時の将棋家元大橋家と囲碁家元本因坊家との間で勢力争いがあったことを指摘した上で、大橋家が「これまで最大の泰将棋をしのぐスケールの将棋を作ることで認められ、家格を高めようとした」と分析し、制作時期を18世紀後半と推定している。 現在は復元された駒が少なくとも2組あるのみで、1組が大阪商業大学に所蔵されている。
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