田辺聖子の源氏物語観とは? わかりやすく解説

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田辺聖子の源氏物語観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 14:01 UTC 版)

新源氏物語 (田辺聖子)」の記事における「田辺聖子の源氏物語観」の解説

田辺聖子は、この『新源氏物語』以外にも、『源氏物語』やそれを含む日本の古典文学に関して多く現代語訳エッセイなど諸作があり、「当代随一古典読み手である」とされるその他に日本の古典文学に関して講演録や対談数多く存在しており、それらを通して田辺『源氏物語』観を知ることが出来る。田辺年を経るに従って『源氏物語』見方変化したことを述べており、若い頃『源氏物語』読み通すことも出来ずその頃『源氏物語』観は「ところどころシーンこそ、目にとまるものの、やたらに冗長膨大な古物語としか思えなかった。」というものであったとしている。30過ぎて口語訳読み返したことと、原典文語文法文体クセ慣れたことにより、楽しめるようになってきた。それにより、源氏物語とはさまざまな人間恋愛の形を描いたカタログであり、面白い、楽しい物語であると感じられるようになった。」と述べており、40代になると、光源氏初め紫上、薫、匂宮それぞれに不幸であり、あきたりぬ人生送っている。「源氏物語とは哀しい小説ではないか」と思うようになった。さらに50代になると、「源氏物語とは哀しみ描かれている」という点についてはそのとおりであるとしても、その地点にとどまるのではなく哀しい話から昇華した喜び」が描かれていると感じようになった述べた上で、「これからの私はどのように源氏物語を読むことになるのだろうか」との言葉締めくくっている。このような田辺『源氏物語』観の変遷新源氏物語内容とを対照させてみると、『新源氏物語』は30代田辺『源氏物語』観が生かされ、さらに40代田辺『源氏物語』観の影響の下に成立しているとされている。

※この「田辺聖子の源氏物語観」の解説は、「新源氏物語 (田辺聖子)」の解説の一部です。
「田辺聖子の源氏物語観」を含む「新源氏物語 (田辺聖子)」の記事については、「新源氏物語 (田辺聖子)」の概要を参照ください。

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