田柄用水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 05:45 UTC 版)
地図:田柄用水流路 田柄川は元々、現在の土支田辺りを源流とし、それ以東を流れる自然河川だが、それとは別に明治期に田無用水を分水して田柄用水が開削された。同用水は各所で田柄川とも繋がっていた。流路は、現在の田無駅北口付近(西東京市田無町3丁目10番)から分水され、西東京市富士町交差点から富士街道にずっと沿い、石神井公園駅付近で北上、関越練馬ICを経て土支田で東に蛇行、光が丘へと流れた。光が丘以東は田柄川(田柄川緑道)の少し北側を並行して北町を流れ、旧北町1丁目と旧仲町1丁目の境(現在の錦1丁目26と平和台1丁目4の交差点)辺りで田柄川に合流した。田柄用水と田柄川を南北に繋ぐ水路敷も多くあり、現北町3丁目で田柄川支流を含めて3本ほど、現北町1丁目で同支流を含めて5本ほどあった。 地名の由来~田が枯れる~田柄地域は武蔵野台地にあるため水利に恵まれず、農耕地に適さないというので、「田が枯れる」から「田柄」になったという説もあるが、実際のところは不明。土支田の源流域も雨がない時は枯れていたという。そこで流域の住民らが分水を懇願して田柄用水が引かれた。 その後同用水は、北町地区では戦前の昭和初期に暗渠や埋め立てにより廃止され、田柄地区でも戦時中から戦後まもなく廃止、上流の田無寄りは1965年(昭和40年)頃から富士街道沿いの用水路が廃止された(昭和30年代《1955~1964年》には全てで通水が止まっていた)。往時の姿を偲ぶことができるのは「けやき憩いの森」(富士街道沿い、石神井台8丁目)に残る約47mの用水跡のみである。
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