産業の新生:1960年代と1970年代
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「オレゴン・ワイン生産の歴史」の記事における「産業の新生:1960年代と1970年代」の解説
1960年代に入ると、オレゴンのワイン産業の再建が始まった。カリフォルニア大学デイヴィス校を卒業したリチャード・ゾンマー(Richard Sommer)が1961年にローズバーグ近郊にヒルクレスト・ヴィンヤード(Hillcrest Vineyard)を設立し、1968年に最初のヴィンテージを販売した。また1960年代にはデイヴィッド・レット、チャールズ・コウリーなど数人のワイン生産家がウィラメット渓谷でピノ・ノワールの栽培を開始。1966年、レットはダンディー近郊の丘にブドウ園を開園した。 1970年までに、5軒のワイナリーがオレゴン州内で稼動し、35エーカーの土地がワイン生産に用いられていた。ディック・エラス、ディック&ナンシー・ポンジー、スーザン&ビル・ソーコル=ブロッサー、デイヴィッド&ジニー・アーデルスハイム、パット&ジョー・キャンベル、ジェリー&アン・プレストン、マイロン・レッドフォードなど、カリフォルニア州を筆頭とする多くの州外のワイン生産家がオレゴン州に移住してきた。1973年、オレゴン州は著名な土地利用法を通過させた。この法律は、農業用地と都市用地を厳しく分離するもので、他の作物が育ちにくいとされる多くの丘陵地が住宅地にされず保存されることとなった。また、1970年代には、この地域のワイン生産家達は組織を結成しヴィンテージの普及に取り組んだ。1977年、「太平洋岸北西部のワイン生産家たち(Winemakers of the Pacific Northwest)」と題されたアメリカ合衆国北西部のワインに関する初のコーヒーテーブルブックが出版された。更に翌年には、「オレゴン・ワインの発見(Discover Oregon Wines)」と題された共同の市場パンフレットが出版された。 オレゴン・ワイン産業が世界的に有名になったのは1979年のことである。ジ・アイリー・ヴィンヤーズの1975年産サウス・ブロック・ピノ・ノワールが、ゴー=ミヨ・フランス・ワイン・オリンピックでトップ10入りを果たし、フランス・ワインに取って代わる非ヨーロッパ・ヴィンテージの1つとして、最高級のピノ・ノワールの評価を獲得した。この大会は、オレゴンが最高品質のワインを生産可能な地域であること、そしてフランスの限定地域でなくとも良質のワインが生産可能であることを世間に知らしめた。フランスのワイン生産家ロベール・ドルーアンは再試合を手配し、ワイン・オリンピックに出品された物より良質とされる一連のフランス・ワインをアイリーのピノと戦わせた。その結果、勝者はジョゼフ・ドルーアンのグラン・クリュ、1959年産シャンボール・ミュジニーとなり、アイリーは僅差で2位に敗れた。
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