生抜き頭取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:08 UTC 版)
しかし、プロパー行員からは"生抜き頭取"を望む声はかねてから強く、そんな中で衆目を集めていたのが向江久夫であった。 向江は、もともと鹿児島県出身、陸軍幼年学校から陸軍士官学校卒で終戦時には陸軍大尉。後に東京大学法学部に入学し在学中に高等文官試験司法科に合格したが、終戦時に陸軍将校であったため公職追放により法曹界には入れなかった。1947年(昭和22年)、27歳の時に日銀理事の紹介で足銀に入行し、陸軍士官・東大卒・司法試験合格という華麗なる経歴は、1948年(昭和23年)に全国銀行協会懸賞論文で一位入選したことで、「足銀に向江あり」と全国に知れ渡り、将来の頭取候補と言わしめられるようになる。 その後、入行10年目の37歳で大阪支店長、39歳で東京支店長、1965年(昭和40年)には43歳で取締役に就任。自宅は東京都内に構え、役員就任以後は宇都宮に単身赴任をしていた。1978年(昭和53年)には満を持して、初の生抜き頭取(当時の呼称は社長、その3年後に頭取へ変更)に就任し、1997年(平成9年)に会長を退くまで19年に渡りワンマン経営者として足銀に君臨する。 1970年代に北朝鮮に対するコルレスバンクとなり、同国と日本の銀行間での海外送金業務を取り扱いを開始。1985年には宇都宮市の指定金融機関の座を富士銀行宇都宮支店から指定替えを受け、公金業務を介して栃木県内の自治体と関わりを深めることになった。
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