生い立ちから青年期までとは? わかりやすく解説

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生い立ちから青年期まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:52 UTC 版)

デジデリウス・エラスムス」の記事における「生い立ちから青年期まで」の解説

1469年1466年とか1467年とする説もある)、エラスムスは父ロゲル・ゲラルド (Roger Gerard) と母マルガレータ私生児としてロッテルダム生まれた。父は高名な司祭、母は医師の娘だった。エラスムスにはピーテルという名の兄がいた。1483年この年流行した疾病両親亡くしたエラスムスと兄は後見人により共同生活兄弟団付属寄宿学校入れられ、「デヴォツィオ・モデルナ」(Devotio Moderna新しき信心)の教育受けた1487年親族意思に従ってデルフトに近いステインにあった聖アウグスチノ修道会修道院入ったこのころからラテン語古典読み漁りイタリア行きたいという望みをもつようになったキケロ、クィンテリアヌス、アウグスティヌスヒエロニムスなどの研究没頭する古典教養重要性説く『反蛮族論』の執筆始める。 エラスムス修道会司祭として生きていくことが本意ではなく修道会離れる機会狙っていた。彼は1492年司祭叙階を受けると、卓抜したラテン語能力認められカンブレー (Cambray) の司教秘書抜擢され合法的に修道会離れることができた。1495年にはカンブレー司教許しを得、神学博士号の取得目指しパリ大学入学し、モンテーギュ学寮入った。(モンテーギュ学寮では後にジャン・カルヴァンイグナティウス・ロヨラ学んでいる。)1496年から自らを「デジデリウス」と名乗るようになり、『古典名句集』(Collectanea Adagiorum) を書き始める。

※この「生い立ちから青年期まで」の解説は、「デジデリウス・エラスムス」の解説の一部です。
「生い立ちから青年期まで」を含む「デジデリウス・エラスムス」の記事については、「デジデリウス・エラスムス」の概要を参照ください。

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