生い立ちから高校卒業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 04:35 UTC 版)
3歳からオレンジワン熊本(現:コナミスポーツクラブ熊本)で水泳を始め、熊本YMCA、熊本市立帯山小学校、熊本市立西原中学校を経て、「文武両道」に秀でた名門校・熊本県立済々黌高等学校に進学した。「自分の冒険心や挑戦したいという気持ちを大切にしていく仕事に就きたくて、名前の通り、宇宙飛行士になりたいと思っていました」 。その夢を見据えて宇宙工学、航空工学を学べる大学への進学を目指して勉学に励んでいたが、その夢は突然、絶たれた。高校2年で黒板の文字が見えにくくなり、病院4ヶ所を回った末、網膜の異常で視野が狭まる進行性の難病「網膜色素変性症」と判明。「人生が終わった」と絶望した。「『症状はゆっくり進行して、徐々に視野が失われていきます。5~10年後には完全に見えなくなるかもしれないし、そうじゃないかもしれない』という曖昧な診断でした。それまで行くことができていたところに行けなくなったり、趣味を失ったり、できないことが少しずつ増えていくと大きな精神的苦痛に襲われました。あらゆるこだわりを捨てなければならなかったので。」それでも、3歳から始めた水泳は高校卒業まで継続した。3年時に県高校総体でベスト6、九州大会出場の結果を残して引退した。引退の理由は「病気のせいというよりは自分の中でひと区切りつけたくて。」としている。
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