現在のソルトン湖の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 15:22 UTC 版)
「ソルトン湖」の記事における「現在のソルトン湖の出現」の解説
現在のソルトン湖は1905年に出現し始めた。これはインペリアル・バレーでの運河建設や灌漑農地開発に伴うものといえる。この年、豪雨と雪解け水によりコロラド川が脹れ上がり、アラモ運河の取水門を超えた。溢れた水は運河を下り、インペリアル・バレーに溝を穿ち、西のニュー川と東のアラモ川という2つの水路を造り出した。どちらも全長は60マイル (96 km) あった。それから約2年間にわたって2つの川が散発的にコロラド川の水を運びソルトン盆地を満たして湖とした。 サザン・パシフィック鉄道は運河の取水口に土盛をして溢れ出しを止めようとしたが、その工事が迅速なものではなかったので、川水がインペリアル・バレーの乾燥した砂漠砂をさらに深く侵食し、このときはコロラド川に吸収されていたアラモ運河の経路に沿った上流で急速に大きな滝が形成された。この滝は当初15フィート (4.5 m) の高さだったが、裂け目からの流出が止められるまでに80フィート (24 m) にまで成長した。当初はこの滝がコロラド川の本流を無くしてしまう恐れがあり、その高さが300フィート (100 m) に達すると事実上問題に対処できない可能性があった。盆地が水で満たされ、ソルトンの町、サザン・パシフィック鉄道の側線およびトレス・マルティネスのインディアンの土地が水に浸かった。急な水の流入と盆地から排水する方法が無かったために、ソルトン湖が形成されることになった。 コロラド川からインペリアル・バレーに対しては間欠的な溢水が続いたため、コロラド川の洪水制御のためにダムを建設する考えが生まれた。最終的には1922年に連邦政府が測量隊に出資し、コロラド川のダム建設を目される場所を爆破し、ブラック・キャニオンでフーバーダムを建設することになった。フーバーダムの建設は1929年に始まり、1935年に完工した。このダムで実質的にインペリアル・バレーの洪水を止めることができた。
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