王党派、奴隷と黒人セミノール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 05:51 UTC 版)
「バハマの歴史」の記事における「王党派、奴隷と黒人セミノール」の解説
アメリカ独立戦争中の1782年、バハマはベルナルド・デ・ガルベス将軍率いるスペイン軍に占領された(英語版)。アンドリュー・デヴァルー(英語版)大佐率いるイギリスとアメリカ王党派の遠征軍は1783年にバハマを再占領した。アメリカ独立革命の後、イギリスは海外逃亡した王党派に領地を与えた。そして、バハマの数少なかった人口は数年で3倍になった。王党派は綿を商品作物として発展させたが、虫害と土壌疲弊(英語版)により失敗した。移住のときに連れてきた奴隷のほか、プランテーション農園主はさらにアフリカから奴隷を労働力として輸入した。 現代のバハマ住民の大半はこのとき王党派のプランテーションで働いた奴隷の末裔である。さらに、1807年にイギリスで奴隷貿易が廃止されると(1807年奴隷貿易法(英語版))、イギリス海軍は外国の奴隷船から奴隷を解放、アフリカ人数千人が自由民としてバハマに再定住した。 1820年代初期、アフリカ奴隷とブラック・セミノール数百人がフロリダから逃亡、その大半がバハマのアンドロス島に定住した。1823年の大規模逃亡では300人が逃亡した。1825年に米国がフロリダ岬灯台(英語版)を建てると、逃亡者の人数が低減したが、それでも後を絶えなかった。 1834年8月、奴隷廃止法によりイギリスが植民地の大半で奴隷を解放したことで、伝統的なプランテーション農業に終わりが告げられた。解放奴隷は可能なかぎり自身の小さな土地で耕作した。
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