王党派の勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 09:38 UTC 版)
1265年8月4日、イーヴシャムにおいて両軍が対峙した(イーブシャムの戦い(英語版))。シモン・ド・モンフォール軍は数的に劣勢であり、開戦後まもなくウェールズの傭兵が逃走を始めたため、戦いは一方的になり、シモン・ド・モンフォールや息子のヘンリーなど、主だった者が全員戦死した。この時エドワードは改革派の諸侯の降伏を認めなかったと言われ、これをもってイングランドにおける騎士道的な戦争は終わりを告げ、より人的被害の大きい殺戮の時代が始まったとされる。イーブシャムの戦い以降もしばらく不安定な状態が続いた。 1266年12月13日にケニルワース包囲戦(英語版)の降伏で王権が回復し、改革策は大部分破棄された。しかしエドワードは改革の精神は受け継ぎ、平民身分も含めた定常的な議会の開催は彼の治世下において実現され、以降のイギリス議会制が導かれた。
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