王の改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 19:17 UTC 版)
587年、レカレドはカトリックへの改宗を宣言した。多くの西ゴート貴族や聖職者たちが王にならって改宗した。しかしセプティマニア、ルシタニアでアリウス派の反乱が起こり、鎮圧にあたらなければならなかった。588年、陰謀を企んだとしてアリウス派を信仰する継母ゴイスインタを追放した。ゴイスインタは翌年に処刑された。 彼はアリウス派書物の焚書を命じた。そしてアリウス派信徒を公職から追放し、アリウス派教会を立ち退かせたためわずか数年で教会は姿を消した。 589年、王の名のもとで第3回トレド教会会議が招集され、セビリアのレアンデル(セビリアのイシドールスの実兄)が指揮を執った。ここに新たなカトリック王国が設定された。王の公開懺悔状が公証人の声で読み上げられ、カトリック信仰の告白とアリウス派棄教を表明した。彼は西ゴート族およびスエビ族へカトリックへの改宗を呼びかけた。それでも、公然とアリウス派信仰を支持する司教たち(スエビ族が目立った)がいた。 教会会議の決定は、王の勅令発行で法的権力を得た。これに従わない者には厳しい処罰が課せられた(財産の没収、流刑など)。 西ゴート族のカトリック改宗は大きな社会変化でもあった。彼らはローマの衣服を着用していたが、伝統的なフィブラなどの留め金やバックルがなくなり、死者とともにその財産を埋葬する習慣が消滅した。
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