燃料備蓄の枯渇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:02 UTC 版)
「ダウンフォール作戦」の記事における「燃料備蓄の枯渇」の解説
燃料についても備蓄量は乏しく、日本海軍の資料によれば終戦時の燃料備蓄量は陸海軍・民間を合わせても37万kℓ、満州、朝鮮、台湾の備蓄を合わせても48万kℓ(開戦時に保有していた石油備蓄の4%)にすぎず、そのうち航空機用揮発油は10万kℓであった(1945年1月から終戦までの陸海軍の石油消費量は84万kℓ)。航空機用ガソリンの低質化も進みオクタン値は92から87へ低下、他にも訓練期間の短縮、技量の低下、非熟練工員の動員等により、1944年には新造機の空輸中の喪失率は短距離飛行で10パーセント、海上飛行では30パーセントに達し、製造した航空機が途中で墜落し基地に届かない状況が多発していた。 しかし、戦後にアメリカの米国戦略爆撃調査団が日本軍の燃料備蓄について調査したところ、特攻用の航空燃料については優先的に確保されており、終戦時点でも100万バレル(16万kℓ)のストックがあった。これは1945年7~8月1か月間の日本軍の航空燃料使用量実績で換算するとおよそ7か月分の備蓄量であり、20万機の特攻機を一度に出撃させられる量にあたっていた。従って特攻機に限れば燃料は十分に確保できていたと米国戦略爆撃調査団は結論づけている。
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