熊文酒造店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 02:45 UTC 版)
前身の熊文酒造店は、熊文の醸造部門。熊文は一関藩の有数の豪商(田村家の染物御用達)で、味噌・醤油の醸造・販売と鉄製品の売買を行った。1876(明治9)年に金森家が明治天皇行幸の御在所、熊谷家は随員(岩倉具視、木戸孝允、東久世通禧ら)の宿泊所となった。14代の熊谷文之助は清酒醸造を開始「花の友」「谷風」と命名。15代文之助は自ら「天下の熊文」と号し、別邸に庭園を造り、また平泉にも茶室風の別荘「熊文堂」を造営、文人墨客を集めた。16代太三郎の「谷風文庫」に一万冊の蔵書を収めていた。日露戦争後より次第に没落し、太三郎の代の1907年(明治40年)に倒産。島崎藤村が太三郎の英語の家庭教師として滞在した。
※この「熊文酒造店」の解説は、「世嬉の一酒造」の解説の一部です。
「熊文酒造店」を含む「世嬉の一酒造」の記事については、「世嬉の一酒造」の概要を参照ください。
- 熊文酒造店のページへのリンク